現代社会が直面する課題を70年以上前に予見していた作家、ジョージ・オーウェル。彼の言葉は、なぜ今も私たちの心に鋭く突き刺さるのでしょうか。本特集では、彼の生涯と作品を紐解きながら、現代を生きる私たちにとってオーウェルが持つ意味を再考します。
ジョージ・オーウェルとは何者か?
1903年、ジョージオーウェルは当時イギリスの植民地だったインドで、植民地政府の役人の子として生まれます。「中の上の下(lower-upper-middle class)」を自認する家庭に育った彼は、イギリス本国へ渡り、名門パブリックスクールであるイートン校で学びました。本来であれば、大学へ進み、大英帝国のエリートとして「支配する側」の人生を歩むはずでした。
しかし、彼はその道を選びませんでした。1922年に大英帝国の一員としてビルマ(現在のミャンマー)の植民地警察官になります。そこで彼が目の当たりにしたのは、大英帝国の正義の裏に隠された、植民地支配の醜い現実と、支配する側の傲慢さ、そして支配される側の憎悪でした。この時の罪悪感と強烈な違和感が、彼の作家としての原点となります。後に彼はこの時期を振り返り、帝国主義の「汚い仕事」を目の当たりにしたと記しています。
5年間の警察官勤務の後、彼は職を辞し、作家になる決意を固めます。そして、過去の自分――支配する側の人間であったことへの贖罪意識からか、彼は意図的に社会の最も低い場所へと自らの身を沈めていきました。パリでは皿洗いとして働き、ロンドンではホームレスの一人として放浪生活を送ります。
極貧生活を通して、彼はそれまで知ることのなかった貧困や搾取の現実を骨身に染みて理解します。飢え、屈辱、そして社会から見捨てられた人々の姿。この体験は、彼の社会主義への関心を深めさせ、弱者に対する生涯変わることのない共感の眼差しを育みました。
思想に共鳴しスペインでファシズムとの闘いに身を投じる
彼は1936年に「新聞記事を書くつもり」でスペインを訪れましたが、バルセロナでの「圧倒的な革命的状況」に感動して、1937年1月、フランコのファシズム軍に対抗する一兵士としてトロツキズムの流れをくむマルクス主義統一労働者党(POUM)アラゴン戦線分遣隊に参加し、伍長として戦線へ赴きます。
そこでオーウェルは、人民戦線の兵士たちの勇敢さに感銘を受けると同時に、ソ連からの援助を受けた共産党軍のスターリニストの欺瞞に義憤を抱きます。味方であるはずの左派陣営内部での凄惨な権力闘争、ソ連(スターリン)の思惑によって行われる裏切りや粛清、そしてプロパガンダによる情報操作の恐ろしさを目の当たりにしたのです。オーウェルは命を狙われる場面もありました。スターリンの支配するソ連への疑いを強くすることになりました。
ナショナリストは、味方の残虐行為となると非難しないだけでなく、耳にも入らないという、素晴らしい才能を持っている。
ファシストと戦った彼はこのような言葉を残しました。しかしこの言葉はソ連の王城の玉座に座るスターリンにも向けられていたでしょう。
第二次世界大戦
1939年9月に第二次世界大戦が始まると、イギリス陸軍に志願するも断られ、ホーム・ガードに加わり軍曹として勤務します。とはいえ仕事はすぐにBBCでの仕事が主となりました。メディアの人間として情報管理と反ファシズムプロパガンダに携わることになります。反ファシズムという点ではオーウェルも同じでしたが、オーウェルの書く原稿が検閲されることに嫌気を覚えます。
ナチの滅びをみて、戦争は終わりましたが、オーウェルの戦いは終わりませんでした。彼は戦後も、全体主義の危険性を訴え続けます。1945年に発表された『動物農場』は、ソ連のスターリン主義を風刺した寓話であり、1949年の『1984年』は、監視社会と情報操作の恐怖を描いたディストピア小説です。
これらの作品は、当時の読者に強烈な衝撃を与えました。『1984年』は、個人の自由が国家によって徹底的に抑圧される未来社会を描き、その中で「ビッグ・ブラザー」が全てを監視し、真実が捻じ曲げられる様子は、冷戦時代の東西両陣営における情報戦争を予見しているかのようでした。
1949年、『1984年』を書き終えて間もなく、オーウェルは結核により46歳の若さでこの世を去ります。しかし、彼の作品は死後も生き続け、20世紀文学の金字塔として評価され続けているのです。